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村歌「原村の歌」

村歌「原村の歌」

由来

 「原村の歌」は、村政施行100周年(昭和50年1月22日)を迎えるにあたり、記念事業の一つとして作られました。

 当時の村長菊池七郎氏の命を受けた総務課長の小平亥佐武氏が、原中学校で教鞭をとっていた小口雄一郎先生に作詞を、同じく高橋俊夫先生に作曲を依頼しました。

 昭和47年11月10日に開催された「原学校開校百年記念式典」で披露され、昭和49年12月1日に「村旗」、「村木」、「村花」とともに制定されました。

歌詞に込められた思い

 作詞を担当された小口雄一郎氏は、自らの著書で歌詞の背景や村に対する思いについて、次のように語っています。

「國語教室の回顧そして風景」より

 一番は原村の春をそのもっとも象徴的な田園の姿でとらえてみました。長い冬の間にたくわえられた雪どけの水は春の日射しと共に全村をうるおします。田植えの田園は朝日をあびて輝きます。原村のもっとも美しい季節です。今や山麓に道路はのび、やがて産業経済発展の動脈の機能を発揮し原村は未来にむかってかぎりなくひらけてゆくでしょう。道路は村の発展のパロメーターであると言えます。

 二番は原山といわれたこの地、海抜千米地帯は八が岳山麓文化と言われ縄文時代の昔からの歴史をひめ、御射山の祭事は今日にうけつがれています。村内に点在するあまたの遺跡や臥竜の丘はそうした悠久の歴史を語っています。農業は常に近代化を求めて、村人は営々とそのいとなみをつゞけてきました。基盤整備が完成したあかつきには高冷地とはいえ、農業近代化のモデルともなるでありましょう。新田開発の苦闘の歴史の中で、ひたすら農業に情熱を傾けてこられた村人の姿の中に真実の人間を見る思いがします。そして故きを温めて新しきを求めた精神を感じました。

 二番の夏につゞいて三番は秋から冬へのイメージです。豊穣の秋がおとずれます。広大な大地、豊かな土はそれ自体が無限の資源であります。常に冷気は満ちていますが今や諏訪地方でも汚染をまぬがれている唯一の土地です。しかし山麓はリゾートタウンへと変貌するでしょう。開発が自然破壊や汚染につながるのでなく、いつまでも豊かな水と空気と太陽と緑におゝわれていてほしいものです。

 四番について、五月の季節はもっともすばらしい季節です。庁舎の窓も輝く季節です。すぐれた英知こそが高い文化を生み出し、文化は人間に幸福をもたらします。真の豊かさと平和を求める村の発展を願わずにはおれません。すぐれた芸術家や教育者や文化人を生んだ原村、そして若い人たちが雄飛の翼となって輝かしい未来に巣立ってほしいと思います。すぐれた先人ののこした文化遺跡をきずつけることなく、いつまでも郷土のほこりとして大切にうけついでいってほしいと思います。

「國語教室の回顧そして風景」より引用 (著者:小口雄一郎 出版所:あざみ書房)

 

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